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泉源について

江戸時代創業。
はじまりは、天秤棒をかついでの行商から

泉源は江戸時代末期に徳島県牟岐町で、和田源太郎が創業しました。
屋号を『泉屋』とし、魚がたっぷり入った天秤棒をかついで、行商したのが『泉源』の始まりです。
現在の社長は六代目にあたります。
創業約150年の老舗ですが、よい時代ばかりではありませんでした。太平洋戦争で何もかも失った苦しい時代、『泉源』を再生させた五代目・和田薫を抜きに泉源のあゆみは語れません。

五代目・薫が引き受けたことと、築き上げたこと

明治生まれで、身長が176cmもあり健康で体格もよかった薫は、戦争が始まると海軍に入隊しました。
長崎県佐世保からスエズ運河を通りフランスのマルセイユまで遠洋航海をしたり、軍艦に乗り揚子江の真ん中で降りるや上陸戦に参加するなど、戦争の最前線を経験しました。
やっとの思いで兵役を終えて復員してきたときには家業は倒産、家の大部分が人手に渡り、一部しか残っていませんでした。

薫から子どもたちへ、受け継がれたこと
−泉源の“ココロ”−

あゆみは決して平坦なものではありませんでしたが、ただ一つ言えることは、こうして毎日、海のめぐみを皆さまにお届けできるのも、先人たちが正直に、丁寧に仕事を紡いできたからです。
食卓に上るたった一匹の魚、一匹の干ものにも、はかり知れない歴史があります。

泉源は苦難の時代から、泉源の魚を食べていただいた皆さまによって支えられている。

これは薫が現社長を含めた子どもたちに、よく言っていた言葉です。
歴史の上に泉源がある、そして、地元の皆さまとともに泉源がある、ということに誇りと感謝の気持ちを持って、今日も、豊かな海のお魚をお届けしていきます。


食育へのおもい

泉源は創業より、豊かな海のめぐみを地元の皆さまにお届けしてまいりました。
漁師町である徳島県牟岐町は、お昼時にはどこかの家から干ものを焼く匂いがして、夜には新鮮なお魚を煮物やお造りにしていただく、今でも、そんな風景が残っています。
しかし、時代の流れとともに、この風景が減りつつあるのも事実です。生活スタイルは変化していきますが、和やかに団欒しながらいただく食事は、いつの時代もしあわせでおいしいものだと思います。
食卓に並ぶ、ごはんやおかずは、どこから来て、もとはどんな形で、どんな風に料理されたのだろう? そんなことをお子さんと一緒に考えてみるだけで、想像が広がり、ワクワクしませんか? 食事のとき、いつもよりちょっぴり長めにお子さんの目を見て、ちょっとだけ、お魚が生まれた海のことを思い浮かべてください。
命をいただき、命を育むことの尊さを感じていただけたら、とても嬉しく思います。

まずは、“いただく”ことから

毎日忙しいお母さん、お子さまが小さければ、なおさらだと思います。
お魚を食べさせてあげたいと思っても、なかなか時間が取れなかったり、調理が難しそうだな、と思っている・・・そんなお母さんのために、泉源がお手伝いできることって何だろう、と考えました。
まずは面倒な下処理をなくすこと、そしてすぐに食べられて、後片付けがカンタンなこと。もちろん美味しいことは大前提で。
これらの思いのもと、新商品『いず坊シリーズ』を開発しました。
お魚を“美味しく、楽しく”召し上がっていただくために、手間と暇をかけて作りました。大切に、丁寧に、ひとつひとつ手作業で仕上げていますので、「お魚を食べさせてあげたい」と思うお母さんのまごころも、きっと伝わるのではないかと思います。

まずは“お魚をいただく”ことから始めてみませんか? 調理や後片付けの時間が減って、ちょっぴり時間とこころの余裕ができたら、お子さんと食事を楽しんでくださいね。
「おいしいね」ってにっこり笑い合うと、豊かなこころの芽が、ほら。大きくなりますよ。