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江戸時代創業。はじまりは、天秤棒をかついでの行商から

泉源は江戸時代末期に徳島県牟岐町で、和田源太郎が創業しました。

屋号を『泉屋』とし、魚がたっぷり入った天秤棒をかついで、行商したのが『泉源』の始まりです。現在の社長は六代目にあたります。

創業約150年の老舗ですが、よい時代ばかりではありませんでした。太平洋戦争で何もかも失った苦しい時代、『泉源』を再生させた五代目・和田薫を抜きに泉源のあゆみは語れません。

五代目・薫が引き受けたことと、築き上げたこと

五代目・和田薫明治生まれで、身長が176cmもあり健康で体格もよかった薫は、戦争が始まると海軍に入隊しました。

長崎県佐世保からスエズ運河を通りフランスのマルセイユまで遠洋航海をしたり、軍艦に乗り揚子江の真ん中で降りるや上陸戦に参加するなど、戦争の最前線を経験しました。

やっとの思いで兵役を終えて復員してきたときには家業は倒産、家の大部分が人手に渡り、一部しか残っていませんでした。

嘆く間もなく、次は家族と“生きる”ために歯を食いしばり働きます。朝は四時からてんぐり漁(底引網漁)に出て、帰ってくるのは夕方五時から八時。こうして薫は、売られてしまった家屋を少しずつ買い戻し、現在の『泉源』の基礎をマイナスから建て直していったのです。

戦後生まれた薫の子どもたちも、朝から晩まで働き続ける父のその背中に学びました。

その中の1人である現社長は、当時の思い出を話すとき、「長男だったけん、弟泣かしても怒られたし、仕事が遅かっても怒られて、よう叩かれたわ。体だけでなく手ぇもおっきいけん、叩かれたら痛かったなあ」と懐かしそうに目を細めます。

背中に学ぶ

孫を抱くハナコ一本気な薫と、しなやかなハナコの二人三脚

そしてもう1人、『泉源』の成長にとって大切な人物がいます。

頑固で一本気な薫を二人三脚で支え続けた、妻のハナコです。

ベストセラーであり、現在も地元の方に愛され続けている「太刀魚のみりん干」はハナコがしょう油やみりんなど調味料の配合を考えました。

魚本来の味わいはもちろんですが、どこか温かく、懐かしい味がするのは、ハナコの愛情が沁みこんでいるからかもしれません。

薫から子どもたちへ、受け継がれたこと −泉源の“ココロ”−

あゆみは決して平坦なものではありませんでしたが、ただ一つ言えることは、こうして毎日、海のめぐみを皆さまにお届けできるのも、先人たちが正直に、丁寧に仕事を紡いできたからです。

食卓に上るたった一匹の魚、一匹の干ものにも、はかり知れない歴史があります。

「泉源は苦難の時代から、泉源の魚を食べていただいた皆さまによって支えられている」。これは薫が現社長を含めた子どもたちに、よく言っていた言葉です。

歴史の上に泉源がある、そして、地元の皆さまとともに泉源がある、ということに誇りと感謝の気持ちを持って、今日も、豊かな海のお魚をお届けしていきます。

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和田智子

オンラインショップ店長の和田智子です。 鮮魚は活きのいい状態で、干ものは旬のものを新鮮なうちに加工してお届けいたします。 皆さまの食卓が笑顔でいっぱいになりますように。